横浜銀蝿メンバー!翔、ジョニー、タクの今と若い頃!亡くなった嵐!

ポピュラー

あの頃の・・・、まさにアラカン世代の方は、青春真っただ中に、なんとなく、もしくは、ガッツリと横浜銀蝿の曲が流れていたのではないでしょうか?

え~と、何人のユニットだっけ?何年か前に亡くなられたメンバーの方もいらしたと記憶していますが、ちょっと曖昧でもあります。

中学の頃、彼らの影響を受けた友人たちの太いズボン通称ドカンの事などを思い出しながら、メンバーの皆さんや現在の活動などにフォーカスしてみましょう。




横浜銀蝿メンバー!若い頃とデビューしてすぐに一位になれるのは?

横浜銀蝿がデビューしたのは、1980年9月21日。アルバム『ぶっちぎり』と『横須賀Baby』と言うシングルを同時発売しました。

バンド結成はちょうど一年前の1979年9月21日。翔(しょう)さん、Johnny(ジョニー)さん、TAKU(タク)さん、嵐(らん)さんの4人でバンドを始めました。

バンドのメンバーについてメンバーの翔さんは

嵐、TAKU、Johnny、翔の4人。俺とJohnnyが高校のときの同級生。嵐さんは俺のアニキ。TAKUはアニキが連れてきた。

ハマレポ hamarepo.com2013年06月18日付

その時代は、ツッパリ、暴走族、校内暴力、イジメ等など、若者たちは、得体のしれないエネルギーを、どこにも向ける場所が無く荒れていた時代でした。

しかし、男女ともに、そういう異性に惹かれる流れもあり、しばらくそういう風潮が続くのでした。

そんな風潮の中、リーゼントヘアに極端にワタリの部分が太いズボン(通称:ドカン)を履き、インベーダーサングラスや、細目のサングラスをかけ、革ジャンを羽織る。

まさに暴走族さながらの衣装で現れたイカツイ4人組に若者たちの注目が集まります。

横浜銀蝿と言う名前はTHE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL(ザ・クレイジー・ライダー よこはまぎんばえ ローリング・スペシャル)と言う名前が正式なのだそうです。

バンド結成前に、バイクや車が好きで、いつもたむろしていた店に行くと、店のマスターが「お前らいつも銀蝿みたいにブンブンうるせいな!」と言われたのをリーダーの嵐さんは、

『銀蝿』っていいなと心のどこかで思ってたようです。普通の人ならネガティブに受け取ったり、怒ったりしそうですが、そのマスターの人間性や嵐さんとの相性が良かったのでしょうね。

そして、デビューにあたり、デビューしてすぐにナンバー1になれるものとして、日本一長いバンド名にしたと言う事です。


横浜銀蝿メンバー!メンバーの紹介とバンドの弟分や妹分について!

改めまして、横浜銀蝿のメンバーを紹介しますと(年齢は2025年1月現在)

★翔(しょう)さんの本名は田宮 将吉(たみや しょうきち)と言います。1958年6月8日生まれなので67歳でしょうか。血液型B型。
多くの楽曲の作詞・作曲を担当しています。ヴォーカルと、サイドギターの担当をしています。

★Johnny(ジョニー)さんの本名は浅沼 正人(あさぬま まさと)と言います。1958年5月9日生れで前述のように、翔さんと高校の同級生です。 血液型はO型。               リード・ギターとヴォーカルの担当です。

★TAKU(タク)さんの本名は秋葉 卓志(あきば たくじ)と言います。1960年9月22日 生れなので65歳。 血液型はB型です。 ベースと、コーラスの担当です。

★嵐(らん)さんは本名を田宮 淑行(たみや よしゆき)さんと言います。1955年4月15日生れです。 2022年7月4日に 、神奈川県川崎市の病院で亡くなっております。ドラム担当で、横浜銀蝿のリーダーでした。

横浜銀蝿が上の4人で活動したのは、実際には1980年9月21日のメジャーデビューから1983年12月31日の解散までのたった3年3か月でした。

しかし、そのインパクト大きく、今でもメディアで流れることもしばしばあります。

銀蠅一家と呼ばれる弟分のグループ『紅麗威甦‐ぐりいす‐』や、妹分として活動されていたフィフティーズファッション身を包み、ポニーテールのアイドル岩井小百合さんなどがいました。

若い方はご存じないかもしれませんが、紅麗威甦には、今や渋い人気俳優さんとして活動されている杉本哲太さんや、のちの『男の勲章』などのヒットで知られる嶋大輔さんなどがおられました。


横浜銀蝿メンバー!ジョニーの妻は高校時代の同級生の世津子さん!

なんと言っても、横浜銀蝿の中では、女性ファンが多かったのは、ジョニーさんでした。神奈川県立柏陽高等学校(文武両道で知られる高校です。)在学中、翔さんと出会いバンドを結成しています。

高校卒業後、ジョニーさんは、神奈川大学に、翔さんは関東学院大学に入学しています。

ジョニーさんは、小学4年生まではスポーツ大好き少年で、活発な子供でしたが、小学5年生の時に大きな病気をして、体育の授業すら参加出来なかったのだそうです。

中学3年生までそんな状況が続き、その間、ラジオを聞く機会が増え、多くの曲を聴き、そんな中、矢沢永吉さんとキャロルの姿をテレビで見て衝撃を受けたのだそうです。

甘いマスクで、人気絶頂期のバレンタインデーには、トラック何台分にも及ぶチョコレートが届いたそうです。

そのチョコレートの山を見て、この国は大丈夫だろうか?と思ったと言います。ジョニーさんは、高校生の時の同級生の阿部世津子さんと27歳の時に結婚されています。

高校三年生の時に夏祭りデートだったとか。

超真面目だったと言う世津子さんと不良のジョニーさんは、少女漫画さながらですが、実はジョニーさん、ちゃんと神奈川大学を卒業されています。

メインボーカルだった翔さんは、不良男子に人気があったように記憶しています。本名の将吉から子供の頃から「しょう」と呼ばれ、当時の少女漫画によく出てくる名前、『翔』にしたと言う事です。

翔さんは、兄の嵐さんにも、インタビューなどでは”さん付け”で呼ぶくらい、影響を受けてるようで、自分が不良になったのは、嵐さんの影響からだと言ってました。

翔さんは、地元の戸塚区で、1983年に痴漢に襲われた女性を助け、犯人にタックルをくらわし、警察に突き出して、表彰されたと言う出来事がありました。

しかし、1997年2月27日に、翔さんは覚せい剤取締法違反で逮捕され、不起訴処分になったのですが、その後1998年9月、2003年4月に逮捕され、実刑判決を受けています。

その後、二度と過ちを犯すまいと、薬物乱用防止、違法薬物の使用防止等の目的の集会などに参加し、自身の経験などを伝える啓発を行っています。

TAKUさんは、嵐さんがバンドメンバーを集めるために、雑誌の募集記事を見て、蒲田駅で待ち合わせ後、すぐに練習に行ったと言います。

TAKUさんは、ベースを始めてまだ間もない頃で、ギターは引けたそうで、嵐さんのドラム以外3人ともギターだった為、じゃんけんで担当を決めたなんて話も残されています。

TAKUさんは、中森明菜さんを筆頭にアニメソングに至るまで幅広く多くの楽曲提供を行っていて、ベーシストとして活動しています。実はTAKUさんは、メンバーの中では唯一東京育ち。

中央大学杉並高等学校を卒業後、中央大学へ入学していますが、退学しています。

又、槇原敬之さんや本田美奈子さんらのアルバムのディレクターなどに携わっております。

嵐さんは、高校生の頃からの親分肌だったのか、通っている神奈川県立柏陽高等学校の校則の縛りが多く、自ら校則を変えようと生徒会長に立候補し、見事当選、きちんと校則を変えていったと言う熱血漢。

隠れて校則を破るより、正面から直して欲しいと言う真面目なタイプの方のようです。その後、関東学院大学をに入学しますが、8年通って除籍になっているようです。

恐らく、仕事の多さで通えなかったのかもしれません。2001年に行われた第19回参議院議員通常選挙に、自由連合公認で比例区から立候補します。

しかし、結果は落選となりますが、高校の頃からの気質は変わっていなかったのかもしれません。2004年4月に脳梗塞で倒れ、小脳の半分を切除すると言う大手術にもかかわらず、僅か2年後の、

2006年6月9日の結成25周年の記念コンサートにはドラムを演奏する嵐さんの姿がありました。しかし、2022年7月4日に、療養中、67歳の時に肺炎でお亡くなりました。

嵐さんは、キャンディーズの伊藤蘭さんの大ファンだそうで、『蘭』を『嵐』として、芸名にしていたと言います。


横浜銀蝿メンバー!解散の理由と、今、何している?意外な曲でも!

1983年12月31日に横浜銀蝿は解散します。実は、横浜銀蝿はデビューの時から2年間で、3つの事をやり遂げようと目標を上げます。翔さんはテレビ番組で

「俺たちデビューする時に、“2年間完全燃焼”という謳い文句だった。シングル1位、アルバム1位、日本武道館を満員にするという目標を立てて、それを『絶対にやり遂げます』というのがレコード会社に言った俺たちの公約なのね」

テレビ東京系「じっくり聞いタロウ ~スター近況(秘)報告~」https://thetv.jp/ 2019年11月22日付

そのように語っております。

しかし、実際には、どうしてもシングルの一位が取れずに一年間期間を延長した中で、『あせかきベソかきRock’n Roll run』が、初登場一位になり、じゃあここでと言う事で解散に踏み切ったそうです。

その後、1988年に再結成されます。実は横浜銀蝿、解散後はジョニーさんは、背広姿に身を固め、キングレコードの社員となります。

その為に、4人のオリジナルメンバーで活動できることは、限られてきますが、横浜銀蝿の再結成時には、4人が揃う機会もありました。

社員としては、中山美穂さんや的場浩司さんなどの作品の制作側に周り活動します。そして、全くイメージは違いますが、

2010年にリリースされた植村花菜さんの楽曲『トイレの神様』では、会議の中で他の社員が、「長すぎてダメだ!」「放送されない。」と反対意見を言う中、

ジョニーさんは、植村花菜さんのこの楽曲の大切な事は全て流さないと、解ってもらえない。とほかの社員を説得しました。プロデューサーは寺岡呼人さん。

植村花菜さんは、デビューから5~6年経ちましたが、才能はあったのですが、ヒット曲が出ず、最後のアルバムにしようと、言わば背水の陣で臨んだアルバムの曲でした。

結果は9分52秒と言う10分近い長さの曲をたった一回、深夜のFMから流れた事で、凄い数の問い合わせや反応があり、2週連続の1位や、ゴールデンディスクなどの賞を取ります。

いかがだったでしょうか?横浜銀蝿の正確な名称『THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL』だったこと、メンバー全員が大学に通っていたことなどちょっと驚きでした。

それぞれ、形は変わっても、突っ張って突き進んでるようです。嶋大輔さんとの出会いや、ドラマ「今日から俺は!!」などに通じるお話もありますが、またの機会に。

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