バービーボーイズは、1980年代に、珍しい男女ツインボーカルのロックバンドでした。当時の人気はすごかった記憶があるのですが、長い下積みの時代もあったようです。
バービーボーイズは活動休止や再結成がありますが、その間も杏子さんのユニットの『福耳』等でも、メディアから杏子さんの声が流れてくるときはありました。
5人組ロックバンドのバービーボーイズの現在、杏子さんは結婚しているの?メンバーの詳細など紹介いたします。
バービーボーイズ杏子若い頃。バービーボーイズのメンバーは?
バービーボーイズのメンバーは
KONTA(コンタ)さん・本名は近藤 敦(こんどう あつし)さん。東京都新宿区出身です1960年7月25日生まれ 血液型はO型です。 ボーカル、サックスを担当しています。
杏子(きょうこ)さん 本名は、関原京子(せきばらきょうこ)さん。1960年8月10日生まれ、長野県松本市出身です。血液型はA型です。ボーカルを担当しています。
いまみちともたかさん、本名は今道 友隆(読みは同じ)さん、1959年10月12日生まれです。通称イマサ。東京都の出身です。血液型はAB型。ギター担当です。
ENRIQUE(エンリケ)さん(本名は非公開ながら佐久田エンリケさんという情報があります。)コロンビア出身の日系二世。 1964年2月3日生まれ。血液型は A型。ベース担当です。
小沼俊明(こぬまとしあき)さん(本名同じ)愛称は「コイソ」東京都出身 の1962年7月17日生まれ 血液型はO型。ドラムス担当
旧メンバーとしてベース担当として安部隆雄(あべたかお)さんがいらっしゃいます。
息の長いバンドですが、同メンバーで活動休止や、再結成が行われていました。結構珍しいですね。
バービーボーイズ杏子若い頃。大手商社、他のバンドの杏子を!
バービーボーイズは、1982年7月に男性4人組として結成します。正直なところ、バンドの結成当時からそれ程人気のバンドと言うほどではありませんでした。
その当時は杏子さんは、イラストレーターを本業とするの垂井ひろし(たるいひろし)さんが率いる『喝!タルイバンド(かったるいばんど)』と言うバンドに所属していました。
ある時、バービーボーイズと喝!タルイバンドが対バンとして出演するライブハウスの下見をした際に、
バービーボーイズのメンバーのいまみちともたかさんが、ライブハウスの動員数を目の当たりにして「杏子さんを加入させたい。」と思ったのだとか。
杏子さんは若い頃は、大手商社の伊東忠商事でOLをしていました。 その為、職場関係者などにチケットを掃くことができたのが動員数の理由の一つになっていたようです。
しかしそれ以上に、その時代はまだまだ、女性ロッカーが少なく、レアな存在でした。又、偏見もあり、男性でもロックをやっていると奇異な目で見られることも多かったのだとか?
杏子さんは、千葉の名門の高校「長生高等学校」を卒業、大妻女子大学に入学。同大学を卒業後に伊藤忠商事に入社したと言うから、優秀なOLさんだったようです。
杏子さんは、プロになろうと言う意識は低く、始めは大学時代の仲間の方たちと組んでいたバンドに所属していたとの事。
私たちがテレビで見ていた杏子さんは、スレンダーな身のこなしでしたが、大学時代は157cm、63kgの“迫力ボディ”だったそうです。うまく想像できませんね。
バービーボーイズ杏子若い頃
そんな女性ロッカーの杏子さんを起用する事で、注目を浴びる事と、ライブの動員数の獲得の為に、バービーボーイズは、杏子招き入れる為に画策します。
後にバンドの特徴となる男女の掛け合い型の楽曲を作成した事で対バンの際に杏子をゲストボーカルとして歌わせることに成功しました。
周りを固め、オーディションに合格し、見事バービーボーイズは杏子さんを獲得に成功しました。
その時の事を
”ちょっと(一緒に)やんない?”みたいに言われました。レコード会社のオーディション受けて、合格して。OL1年目ぐらいだったんですけど、“辞めます。バンドもオーディション受かったし、プロになろうと思っているんです”って言ったら、”本当に最悪、ダメだったら、戻ってくればいいよ”と言ってくれました。」
出典:TOKYO FM 平原綾香 EVERY SUNDAY2017/8/20
そんな風に語っておられました。しかし、杏子さんはバービーボーイズがメジャーなバンドになると直感で感じておられたのだとか。
バービーボーイズ杏子の若い頃
そんな杏子さんが加わったバービーボーイズは、1984年9月21日、デビューシングル『暗闇でDANCE』でメジャー・デビューします。
1987年4月1日、シングル「女ぎつねon the Run」がリリースされ、三ツ矢サイダーのコマーシャルソングとして起用され、1989年1月1日、バンドも出演した資生堂のCMソング「目を閉じておいでよ」がスマッシュヒット。
杏子さんの直感は見事、的中します。
1980年代後半から、バービーボーイズは、あっという間に日本のロックシーンを圧巻したのでした。
しかし、1992年1月24日、渋谷公会堂でラストライブを開催し解散しました。解散後、もう一度、OLに戻ろうと思い、杏子さんのお母さんも、「これでお見合いをして結婚してくれる」と期待していたそうです。
杏子さんのお母さんは、杏子さんが歌う『強い女性像』を快く思っていないようでした。
当時のOLさんの殆どがそうだったように、杏子さんも「何年か歌ってみてダメなら、お嫁に行けばいいか」と思っていたと言うので、結婚願望がない訳でもないようですが、
長く共に活動している同じバービーボーイズのコンタさんは、双子の兄妹みたいな感覚と言い、「コンタと飲みに行くと長くなるから飲みにもいかない。」との事。
因みに杏子さんお酒は強いそうです。確かに強そうに見えます。
かつては、岡村靖幸さんが、タモリさんの『笑っていいとも!』の番組の中のテレホンショッキングで、バービーボーイズの杏子さんを紹介しています。
どうも、岡村靖幸さんは杏子さんのファンだったようです。岡村靖幸さんは、杏子さんに片思いしていたのでは?なんて噂もありました。
又、杏子さんは、安住紳一郎アナウンサーの大ファンで、ラジオ番組などで実際にお話をされています。
安住紳一郎さんが、元タレントの西島まどかさんと結婚した時は、杏子さんを慰めるコメントがたくさんあったのだとか。
現在、杏子さんご自身は、独身を貫いておられるようです。
さて、いかがだったでしょうか?結成から40年を越え、稼働中のバービーボーイズ。
体力づくり、ボイストレーニングには余念がないと言う杏子さん。そんな杏子さんの若い頃、バービーボーイズのメンバー、結婚のお話などについて調べてみました。
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